国債の勃興の歴史を知ろう
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国債の誕生はイギリスから
恒久機関である議会による税の担保によって国債に信用がもたれるようになった
イギリスとフランスによる戦争での国債
国債の誕生はイギリスから
国債に似た形の金融商品が出たのは十二世紀頃が最初になるが、国債が近代に認められるような形で世に現れたのは名誉革命の頃のイギリスが最初である。
名誉革命以前は王政が敷かれていて、司法権、立法権、徴税権を国王が管理していた。
当時は戦争が頻繁に起きていて、戦時になると国王は様々な手段で戦費を調達していた。
商人や徴税請負人からお金を借りたり、平時に貯めておいた金銀財宝を売りに出したり、準男爵などの位を売りに出したり、王の直轄領を売却するなどして膨れ上がる戦費を補っていたが様々な形で問題が発生した。
一番大きな問題は商人などが貸したお金を戦後に請求しようとすると法廷などで「あれは借りたお金ではなく税金として徴収したお金なのだ」と支払いを度々拒否されて、デフォルト(債務不履行)が頻発していたことだ。
国王は国家の元首であるが当然寿命があり、王位の交替などによっても借金したお金が払われないことも多く、王によるお金の借り入れが難しい状態になっていたのである。
恒久機関である議会による税の担保によって国債に信用がもたれるようになった
そんな中で名誉革命が起きた。
国民に対する課税は議会の承認を受けなければならないと取り決められたのである。
寿命もあり、交代することになる国王と違って、恒久機関としての議会には一定の信用があった。
そして、議会が国債を発行する際にそれに相当する税を新設して将来に渡って国債の支払いに充当することを担保するようになった。
国王の時代の借金と違って担保能力の明確なる意思と方法が示されたのである。
これによって国債は国家が保証する最も信用の高い金融商品として広く使われるようになった。
イギリスとフランスによる戦争での国債
国債の信用力の好例としてイギリスとフランスの間でのナポレオン戦争が挙げられる。
戦争によってどちらの国も多くの戦費と必要としたが、先の章で述べたようにイギリスでは国家として国債の信用が担保されるようになり、戦費の調達が容易になった。
それとは対照的に当時のフランスではまだ絶対王政の時代だったのである。
王による借金が戦後に返済される絶対的な保証はなかったのでフランスは多額の戦費を補うことが難しかったのである。